日々の寝言

ひつじの見ている長い夢

滅びに至るDNA

 どうも、三ヵ月ほど夏眠をしていました、夢見る白羊です。

 

 安倍総理が三度目の総裁に総裁に就任したことを受けて、ネット上で憲法改正に関する賛否両論を目にし、思うところがあったので久々に記事を執筆することにしました。とはいっても、これはあくまできっかけであって、今回の記事では政治については言及しません。生き物、とりわけ昆虫と人間に関する話をしていきます。

 

 まず、もっとも繁栄した生き物と言えば人間、と思う方もいるでしょうが実際は昆虫です。地球上に存在するとされる数は比べようがありません。これら昆虫の一部は人間には及ばないまでも、社会性と言われる性質を持つものがいます、ですが基本的には社会性を持てない、分かりやすく言い換えれば助け合って共に生きることができない昆虫がほとんどです。しかし昆虫は生物学者に地球を支配していると言わしめるほどの繁栄をしています。そこで、次にその生存戦略について語りましょう。

 

 昆虫には痛覚や恐怖といった感情がないとされています。この理由は、短いスパンで生きる生物の場合、それが却って生存の邪魔になってしまうからです。「悩んだり苦しんでいる暇があれば、さっさと今を生きることに専念しろ。でなければあっという間に寿命を迎えてしまうぞ」という理屈なんです。これは人間においても、仏陀がマールンキャープッタに毒矢の例えを用い、人生において形而上の物事を考えることの無為さを説いた話からも通じることです。それはそれとして、この寿命が短いことが昆虫という種全体を繁栄へと導いているのです。

 

 人間以外の生き物は基本的に嗜好性が強いと言えます。とりわけ昆虫は、一部を例に挙げればイタドリハムシならイタドリなどの葉、カブトムシやカナブンの幼虫であれば腐葉土等、と食べられるものがとても限られています。そして、人間のように家を建て電化製品を用い、どこでも自分の住みやすいように環境を変える力も持っていないので、住める場所も限られています。さらに親が長生きすると、成長が早いため近親交配のリスクも上がります。なので、短命でなかった場合、どんどん生息域と餌が失われ遺伝的に身体が弱くなり自滅する恐れが高まります。もちろん他の捕食者に襲われる、天候の影響による事故死などもありますが、それらの問題は多産によって解決しているので、寿命を延ばす必要性は生まれません。そして、この生と死のサイクルが早いことが他の昆虫を含む生物、幾多の消費者や生産者の糧となり、回り回って自分たちの種の糧ともなって繁栄したのです。

 

 これらの生存戦略はあくまで、死を前提にしたものであり、社会を持つ人間はむしろ共に生きることによる繁栄を目指した生き物と言えます。しかし、何らかの理由で増えすぎた生き物の末路は大抵食料や生息地の不足、絶対に行わない生物もいますが共食い、などによる破滅です。

 

 ここで話は変わりますが、人間が人間を食べた場合クールー病という脳疾患を患い死に至ります。これはなんらかの突然変異的に生まれた、同種を滅ぼしかねない遺伝子を持つ個体に遺伝子を残させない、自分の種を脅かす進化を止めるための働きだと僕は解釈しています。クモの場合は、自分と同じ生き物なら習性を知っている分狩りやすいという理由で共食いに特化した種に進化した、ユウレイグモやヤリグモなども確かに存在しますが、人間の場合は共に生きる方が遥かに合理的なので、この線を消していました。

 

 しかし、あれこれ不謹慎と理由を付けて不幸を基準にした押しつけを行う人間や、わざと間違った知識を広める人間、足の引っ張り合いをしている人間など、敢えて人間という種を悪い方向へと導こうとしているとしか思えない人々を幾多と見ている内に、増えすぎた生物は、自分たちで自分たちを間引いて、種全体の滅びを防ごうとする進化をしているのではないか、という疑問が生まれました。

 

 憲法を改正することしないこと、どちらが悪いとは言いませんが、こんなことをふと考えました。

 

 

生物学は専攻ではないので、憶測や自論、間違った知識もあると思われます。

この記事を間に受けた人は落ち着いてこのblogのタイトルを声に出して読んでください。

 

 

それでは、僕が生物学の知識豊富なネットユーザーや政治厨にボッコボコに論破され心を折られていなければ、次の記事でお会いしましょう。